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『華岡青洲の妻』あらすじ。有吉佐和子の小説から見る花岡青洲

華岡青洲の妻

「華岡青洲」という人を思い出すとき誰もが、作家有吉佐和子氏の「華岡青洲の妻」の小説ではないでしょうか?
かく言う私も華岡青洲という人物を知るきっかけはこの小説でした。

あまね

あくまで小説ですので、脚色され史実とは異なる点もあるでしょう。
今回は、『華岡青洲の妻』から見えてきた花岡青洲像に迫っていきます。

目次

『華岡青洲の妻』あらすじ

有吉佐和子『華岡青洲の妻』新聞広告
有吉佐和子『華岡青洲の妻』の新聞広告

内容は、彼の母親と妻が全身麻酔の実験台としてわが身を犠牲にするというところと嫁姑の確執を中心としていました。

私にとっては彼女らの献身的な態度もさることながら、青洲の

  • 人を苦しませずに執刀する
  • そのためには全身麻酔が必要である

という2つの信念に共感しました。

そしてそのためには、用意周到な実験が必要だという、その時代の医者が考えも及ばなかった視点に彼が注目したことに驚かされます。
青洲は家族や、罪のない動物を実験台にすることへの罪悪感にさいなまれながらも見事やり抜きました。

未来の日本はもちろん、世界の医学のために貢献したことはやはり大いに称賛されるべきものでしょう。

華岡青洲が麻酔薬を作ろうと考えたきっかけ

青洲は和歌山県の片田舎で生をなしました。
父親は外科が専門でしたが、青洲も医者を志して京都で外科はもちろん内科も学びます。

彼にとっての医術は外科という専門分野だけでなく内科も知ってこそ人を救える、という考えがあったのかもしれません。

また、外科手術における彼の考えは当時の外科手術の範疇を越えていました。

ただ単に傷口から膿を取り出して縫い合わせて終わる、だけでなくカラダの中の悪い部分だけを取りだし完治させることこそ外科医としての本分という思いが強かったのかもしれません。

だから、そのためにはどうすればよいか、人が痛い思いをせずに手術を終わらせることを第一に考えたとき彼は全身麻酔を思い立つのです。

彼のこの発想がこの時代では世界中でも類を見ない考えであったことは歴史が証明しています。

あまね

日本人として「華岡青洲」の偉業を今こそ再認識する時だと感じています。

華岡青洲の麻酔薬開発までの実験の過程

華岡青洲の像
華岡青洲の像


青洲は勉学を終え、実家に戻ると医業の傍ら「全身麻酔」の実験にとりかかります。
実験台となるのは「犬」でした。
その当時は野良犬が多かったのかもしれません。

今でも「動物による実験」は欠かせないものですが、当時の時代背景を考えると、第三者から見ると異様な風景だったかもしれません。

しかしながら、「人間」を実験台にするわけもいかず、かと言って小動物では本来の麻酔の効き目にハッキリとした効果がわかりにくかったかもしれません。
彼の考えの中では、「犬」が一番「人間」に近い存在だったと言わざるを得なかったと思います。

「麻酔薬」の調合にも大変苦労があったようです。
しかし彼が諦めなかったのはなぜでしょうか?

そこには医者として苦しんでいる人を救いたいという一念のみがあったのでしょう。

小説「華岡青洲の妻」では妹が「乳がん」にかかり亡くなってしまう場面があります。
事実は不明ですが、彼がこの実験を行いながらも、患者の中にはこのようにして命をおとしていった人がいたのも不思議ではないでしょう。
だからこそ彼は諦めきれなかったのです。

華岡青洲の人体実験。母親と妻

華岡青洲が記した『竒疾外療図卷 完』の挿入イラスト
華岡青洲が記した『竒疾外療図卷 完』の挿入イラスト

「動物実験」でいくらかその効果が表れてきても、「人間」での実験はそう簡単にできるものではありません。
彼は忸怩たる思いがあったでしょう。

その思いに彼の家族が答えてくれます。
母親と妻でした。

事の次第は定かではありませんが小説では、母親には薬の調合を弱めにして、そのことを知っている妻は覚悟を決めて、「全身麻酔」を成功させるために、強めの薬を飲みます。

その甲斐があってか、「全身麻酔」は世界で初めて成功します。
しかしながら麻酔の薬の「副作用」によって妻は全盲となってしまいます。

彼女は自分の身を挺して、夫のため、ひいては医学の発展の為に尽くしたわけです。
青洲はもちろんその業績は称賛されるべきでしょうが、それ以上に母親そして妻の犠牲的貢献は今の世の私たちも忘れるべきではないと思います。

華岡青洲は「生体実験」の成功から、外科手術では当時としては世界でも初めての「全身麻酔」での「乳がん」の成功を納めます。
しかし彼の功績は乳がんの手術ばかりではなく他の部位にもついても行っており、患者を救っていたようです。

彼は医者としての成功で当時の藩主より医者としては最高の名誉を授けられますが、本人は一環として「町医者」としての姿勢は崩さず、市井の人々のために尽くしてました。

まとめ

「医は仁術」と昔よりいわれていますが、青洲の生き方こそ医者としての仁術を通した類まれなる人ではなかったかなといま改めて思います。
現代の医術は「算術」となっているきらいがあるような気がして残念でなりません。

華岡青洲の功績は「全身麻酔」「乳がん摘出」の成功だけでなく、後進の育成にも力を注いだところでしょう。

もちろん彼一人の成果ではありませんが、彼が育てた弟子たちが自ら、師、青洲の教えを受け継ぎあとへ続く者たちへの道しるべとなってくれたことも、青洲の人となりが物語っていると思います。

「華岡青洲」は、世界に誇れる偉人として今一度再評価される人物として我々は忘れてはならない人だと思います。

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