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足利義輝「剣豪将軍」の非業の死を迎えた最期

剣豪将軍 足利義輝

室町幕府は初代の征夷大将軍に足利尊氏が1338年に就任して以来、その滅亡を迎えることとなった足利義昭まで、15代に渡って征夷大将軍を輩出したことで知られています。

目次

足利義輝こそが事実上の室町幕府の権勢を伴う最後の将軍

最後の征夷大将軍である足利義昭は、1568年に当時権勢を強めていた戦国大名・織田信長の庇護の元で征夷大将軍に地位を得ました。

戦国時代末期の実力が物を言う時代の中で、傀儡の征夷大将軍であった感は拭えません。

織田信長も自らの戦国大名としての権勢を更に高めるために、落ちぶれていた足利義昭を征夷大将軍に据え、その権威を利用して自らの政権の拡張を希求していたことは間違いないでしょう。

そのため足利義昭は後に織田信長の専横に反旗を翻し、各地の戦国大名に反織田信長包囲網を呼び掛けましたが成功しませんでした。
逆に京を追放され、事実上の室町幕府の終焉を迎えました。

第13代足利幕府の征夷大将軍・足利義輝

足利義輝
足利義輝

そんな足利義昭の実兄で2代前の第13代の足利幕府の征夷大将軍を務めたのが足利義輝。
1547年1月~1565年6月までの凡そ18年半に渡って、一時は実権を伴う征夷大将軍として君臨した人物です。

足利義輝はわずか11歳で第12代足利幕府の征夷大将軍であった実父の足利義晴よりその座を禅譲されて継承しました。ですが既に室町幕府自体は表向きは配下の有力武将である細川氏などに実権を掌握されている状態でした。

そうした状況下で細川氏に代わって台頭したのが三好長慶であり、足利義輝は京を追われ三好氏が事実上の天下人として君臨する事態となりました。

ただし1552年に足利義輝は三好長慶を室町幕府の重臣に起用する事で和睦を果たし、度々確執は生じたものの室町幕府の征夷大将軍として、政治の実権も取り戻すことに一時的に成功しました。

足利義輝の最期

三好三人衆によるクーデターで散った足利義輝

ただし1565年5月、三好長慶の死後その跡を引き継いだ三好三人衆は、足利義輝が居城としていた二条城を急襲するクーデターを敢行。
多勢に無勢の足利義輝らは討ち取られ、最期を迎えたとされています。

ただしこの戦闘で足利義輝が討ち死にをしたのか、敗北を悟って自害に及んだのかには諸説があり、その死因は今でも特定はされていません。

あまね

30歳のあまりにも早すぎる死でした…。

「剣豪将軍」と呼ばれたほどの剣技で敵と果敢に戦った

足利義輝
足利義輝

足利義輝は自身が征夷大将軍という足利幕府の頂点に立つ人物で有ったにも関わらず、若き日に剣聖としても名高い塚原卜伝に師事して磨いたとされる剣技を存分に披露。

二条城へと攻め込んできた三好三人衆の兵に対し、自ら薙刀や刀を振るって多くの兵を切り倒したと伝えられており、巷で呼ばれていた剣豪将軍という異名に恥じぬ奮戦ぶりを見せたと言われています。

足利義輝は塚原卜伝から、秘剣・一之太刀を伝授されていたとも言われています。
ですが、これがどのような型式の剣術の技だったのかは、今日でもよくわかっていません。

塚原卜伝はこの秘剣・一之太刀を足利義輝の他、北畠具教や細川藤孝にも伝授したとも伝えられています。
ある程度の名家・名門の武将に伝授された技であったと考えらえています。

そうした観点から少し穿った見方をすれば、天下の剣術者としての自身の名声を高めるべく、塚原卜伝が敢えて身分の高い者達に秘剣・一之太刀を伝授したと解釈することも可能ではないでしょうか。

ただし徳川幕府に仕え、その第二代将軍・徳川秀忠、第三第将軍の徳川家光の剣術指南役を勤め、徳川幕府のお留流剣術ともなった江戸柳生を率いた柳生宗矩は、足利義輝を評して天下に数少ない兵法家と称えており、こちらも多少の忖度はあるにせよ、その実力を認めていたことがうかがえます。

なにしろ足利義輝は二条城において三好三人衆の襲撃を受けた際、味方はおよそ200名に対し敵方は何と10,000名とも言われ、約50倍もの人数であったとも伝えられています。

その状況下で足利義輝は200名に及ぶ敵兵を切り伏せたとも言われています。
多少の脚色はあるにせよ、単なる道場剣法ではない剣技を披露したのでしょう。

足利義輝はさすがに天下の征夷大将軍であっただけあって、その手元には当時の名刀が献上されており、それらを用いた壮絶な死闘を演じたことは想像に難くありません。

世間に激震が走った義輝の死

足利義輝の花押
足利義輝の花押

なお、いかに室町時代末期とは言え、武家の頂点である現役の征夷大将軍が殺害したこの一件は、世間を震撼させました。

その後織田信長が最後の室町幕府の征夷大将軍として自らが据えた足利義昭と最後は対立しつつも、命までは奪わなかったことはその轍を踏むことを由としなかったからとも言われています。

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