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二宮忠八|飛行機にかけた人生を探る。飛行神社の設立も

日本航空機の父 二宮忠八

世界で初めて飛行機を開発したのはライト兄弟であることは有名ですね。
では、日本人で初めて飛行機を開発したのは誰かと質問して、即答できる人はどのくらいいるでしょうか?

その人物は全国的にメディアで取り上げられることも少なく、毎日のように放送されるクイズ番組の問題の題材になることもありません。
しかし、地元では偉業を成し遂げた人物として、その人物名がついた施設があるくらいの偉人です。

あまね

今回は、国内の飛行機開発のパイオニアである二宮忠八の生涯を紹介し、皆さんに知ってもらいたいと思います✨

目次

二宮忠八の生誕

二宮忠八像
飛行神社にある二宮忠八像

二宮忠八は、1866年に柑橘で有名な町、愛媛県八幡浜市で誕生しました。
幼少の頃から好奇心旺盛で、凧を作り遊んでいたようです。

不幸にも12歳の時に父が亡くなり、若くして働かざるを得なくなりました。
薬屋を開業していた伯父のもとで仕事をしていましたが、仕事の中で物理や化学に興味を持ちました。

働きながら学びに励んだことで得られた知識を活かして今までにない凧を作り、独創的で奇抜な凧は当時の人々の話題を呼びました。

入隊

丸亀市の中学校にある二宮忠八の石碑
丸亀市の中学校にある二宮忠八の石碑

1887年徴兵。
隣県である香川県の丸亀の歩兵第12連隊第1大隊に入隊しました。
この入隊が、飛行機開発の転機となりました。

カラスが飛んでいる姿でアイディアが浮かぶ

入隊して約2年になる1889年11月、四国山岳地帯で秋季機動演習が行われました。
演習の合間に昼食を取っていると、カラスが翼を固定して滑空している姿を目撃しました。

何気ないカラスの姿だと思われますが、忠八はその様子に興味を持ったようです。
観察した経験が飛行機開発の足がかりとなりました。

似たような逸話で、ニュートンは家の庭でリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則のヒントを得たという話があります。
新しい発見や発明をした偉人たちは共通して、日常的に些細なことであってもアイディアがないか探っていたのではないかと想像ができ、とても興味深いです。

カラス型飛行器

カラスが羽ばたかなくても空を飛べることに着目し研究を重ねた結果、ゴムが動力になっているカラス型飛行器を開発し、1891年には国内で初めて飛行実験を成功させました。

着想してからわずか1年半ほどでその偉業を成し遂げており、忠八の空を飛ぶことへの執着心が並大抵ではなかったのだと感じます。

また、2年後の1893年には有人飛行を想定した玉虫型飛行器を設計し、何度も軍に対して飛行機の有用性を上申しました。
しかし、当時は日清戦争の真っ只中で、軍は飛行機開発に乗り気ではありませんでした。

ライト兄弟に先を越される

ライト兄弟。ウィルバー・ライト(左)とオーヴィル・ライト(右)
ライト兄弟。ウィルバー・ライト(左)とオーヴィル・ライト(右)

結局、飛行機開発に意欲的だった忠八は退役し、製作資金を作るのに奮闘しました。
資金の目途が立ち世界初の有人飛行機の開発に躍起になっているのもつかぬ間、ライト兄弟が有人飛行を成功したことの一報が入り、忠八は製作を断念してしまいました。

チャンスはあったものの、人類初の人が空を飛ぶ夢の実現を達成できなかったことは、間違いなく心が折れる出来事だと思います。
大抵の人は、関わることも嫌になるでしょう。

二宮忠八、私財を投げ打って飛行神社を建てる

飛行神社
飛行神社
飛行神社

開発からは離れたものの、忠八は飛行機の関心を捨てませんでした。

現在では航空機の事故は全く起きませんが、当時は事故が起きることは珍しくありませんでした。

有人飛行機が成功して以来、飛行機事故が多発し多くの方が犠牲になりました。
忠八は犠牲者を悼み、自らの資産で飛行神社を建てました。
安心して空を飛べるようになって欲しいという忠八の強い気持ちが感じられます。

今日でも安全祈願で航空、宇宙業界の関係者が多く訪れるそうです。

また、忠八は数え70歳で生涯を閉じましたが、人生で1度だけ飛行機に乗ったことがあります。
この時、若い頃に夢で見た飛行機に乗っている気持ちと今の気持ちは全く変わらなかったと忠八は語っており、夢が破れた後も飛行機に対する熱い気持ちは揺るがなかったのだと推察できます。

まとめ

二宮忠八の人生を総括すると、エンジニアでありながら、日本一の飛行機ファンだったように思えます。

だからこそ、たった1人でも短い期間で有人飛行の実現の礎を築くことができたのではないでしょうか。

あらゆることに目移りしてしまう自分にとっては、1つのことに一生を捧げた忠八をとても尊敬し、羨ましくも思えます。

あまね

飛行機に乗った際には、ぜひ二宮忠八のことを思い出してみましょう。
今の安心安全のフライトができることに感謝ですね。

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