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酒井忠次|徳川四天王の最年長で第一の功臣。その生涯とは?

酒井忠次 徳川四天王の筆頭

徳川四天王の一人、酒井忠次。
徳川家康に仕えた武将です。

家康よりも16歳年上。
家康の父、松平広忠の代から松平家の家臣でした。

そして、酒井忠次の妻は、家康の祖父の娘。
つまり、家康からみると義理の叔父にあたります。
幼き頃の家康を常に見守り、誰よりも補佐してきたとも言えるでしょう。

大河ドラマでは、大森南朋さんが演じられてますね。
大森さんの温かい雰囲気が酒井忠次の人柄を表現してすごく合ってると思います。
ドラマの中で「海老すくい」という踊りを要所要所で披露しております。

目次

酒井忠次の生涯

酒井忠次、生まれは家康と同じ三河の国(今の岡崎市)です。
松平広忠に仕えてきた父が亡くなり、なんと10歳で家督を継承します。

松平広忠嫡男の竹千代(後の徳川家康)が、駿府に人質として出される際にも同行しております。
年の差を考えると父親・兄代わりのようなものでしょうか。
桶狭間の戦いを始め、主な戦には全て参戦しています。

酒井忠次のエピソード「酒井の太鼓」

三方ヶ原の戦いで太鼓を叩く酒井忠次の錦絵
三方ヶ原の戦いで太鼓を叩く酒井忠次の錦絵

酒井忠次の有名なエピソードに、「酒井の太鼓」があります。

家康の三大危機の1つ三方ヶ原の戦いの際、最強の騎馬軍団を誇る武田信玄に大敗し命からがら浜松城に退却した家康。
敵が攻めかかってくるほどの緊迫した状況を逆手に取ります。

なんと、武田軍に取り囲まれている中で、全ての城門を開け放し、高らかに太鼓を打ち鳴らします。
武田軍も、おいおい、何事だよ。。。と不気味がり。。。攻めずに兵を撤退させたんです。

あまね

あの武田軍を引かせるとは!

一歩間違えば攻め入られてしまう状況。
度胸ではすまないほどの英断です。
このエピソードは歌舞伎の演目にもなっているそうです。

長篠の戦いでも大活躍した酒井忠次

長篠合戦図屏風

武田信玄の死後、家督を継いだ武田勝頼との戦「設楽原・長篠の戦い」でも忠次の戦略が家康を救います。

信長との軍議の際、忠次は武田勝頼隊に対し後方から不意打ちの案を出します。
ただ、信長にはその場で嘲笑されあえなく却下。
ですが、軍議のあと信長はこっそり酒井忠次を呼び出します。

先程は間者を警戒し却下したが、実に素晴らしい戦略である。ぜひ極秘で実行してほしい、と指示されます。
この戦略が功を奏し、武田軍を見事に打ち負かします。

この後、信長からは「さすが徳川の片腕ともいえる家臣。目が後ろにあるみたいだ」と褒められますが、忠次は、「いや、後ろに目なんてないから見えませんよ」とまさかの塩対応で返します。
これには信長も大笑いしたという逸話があります。

酒井忠次「海老すくい」見事な踊りを披露

ちなみに酒井忠次の得意な「海老すくい」。
実はこの長篠の戦いの前夜、信長から海老すくいを所望され見事に披露。
皆の緊張感を解いたようです。

大敗した三方ヶ原の戦いのあとにも、家康から所望され披露したとか。
これで家臣たちを陰から陽へ転換させたと記録が残っています。

また、関東の大名である北条氏政からは「酒井忠次殿の海老すくいを是非見てみたい」と言われておりました。
実際に家康が同盟を結ぶため伊豆に出向いた際に同行し、北条氏政・氏直父子にもご披露したとのこと。

すでに家老の地位にいながらも皆の前でおどけた舞を披露する酒井忠次、なかなかの人格者だったようですね。

酒井忠次の地位は?

宴会芸の話から戻しまして、酒井忠次はまだ家康が三河守になる前からずっと活躍します。
三河統一の際には東の旗頭に任命され、その旗下には東三河の国衆や松平一族が附けられました。

つまり徳川家以外の松平一門より忠次は格上とされていました。
家臣ではありながら、大名クラスに匹敵する権限を与えられていたことになります。
東三河を任され吉田城の城主となります。

戦場での忠次の活躍ぶり

伝・酒井忠次所用の色々威胴丸
伝・酒井忠次所用の色々威胴丸

また、姉川の戦いでは、最初に朝倉軍に突入しその火ぶたを切ったといわれています。
還暦間近の1584年、豊臣秀吉と家康の直接対決となった「小牧・長久手の戦い」では、鬼武蔵の異名が持つ森長可を敗退させています。

酒井忠次の晩年

この戦いの後、最終的に家康は秀吉と和睦し家康が秀吉の臣下になります。
忠次はその頃から眼病を患っており、隠居をすべく家督を息子に譲ります。

秀吉の希望で酒井忠次は京都に屋敷をあてがわれ好待遇で京都にて隠居します。

あまね

秀吉の思惑として家康から酒井忠次を引き離そうとしたんじゃないかな、と思います。

秀吉が亡くなる2年前、1596年にこの世を去ります。
享年70。
残念ながら家康が天下を取る姿は見られなかったんですよね。

【まとめ】あまねの感想

主君の数々の窮地を救った酒井忠次。

あまね

他の四天王のような華々しさがありませんが、忠次がいなければ家康は天下を取ることは難しかったのではないかと思います。

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